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第25回小説の虎の穴 佳作発表

第25回小説の虎の穴 佳作に入った9編を発表します。
最優秀賞は、海野久実さん「あなたと彼と僕」で、応募総数は80編。
清水義範先生による講評は、公募ガイド4月号に掲載中です。

〈佳作〉

 ありげまじら
                                        井川一太郎

 電車が首切山へさしかかったとき、とつぜん頭髪も陰毛もまっ白い一人の年老いた乗客が、座席から弾かれたように立ち上がって、電車の進行方向に向かって猛烈なスピードで走りながら、
 「おーい、ありげまじら、ありげまじら」
 とどなりまわったので、まわりの客も車掌も呆気にとられて、あごが外れた河馬のような顔でじいさんの後姿を見送っていたが、
 「何をありげまじら!」
 と烈火のように怒って窓ガラスを叩き割って、手に持った尿瓶を線路脇へ投げつける若い女や、
 「はいはい、ありげまじら、ありげまじら・・・」
 とその女に抱きついて宥めたり脅かしたりする青年や、四十五口径の短銃を空へ向けてぶっ放しながら歌うように
 「あり~げ、まじ~ら」
 と口ずさんで周辺の乗客を蹴飛ばして廻るプロレスラー風の大男も出てきて、車内は騒然となり、一時は運転手が急ブレーキを引いて電車を止めようとしたほどだったが、彼は、
 「いや、それは、あんまりな、ありげまじら?」
 と思ったので、電車をスローダウンして本社へSOSの電話を入れようとすると、何故か電話は話中で、しかも前方のレール上に不思議な巨大建造物が浮かんでいたので、慌ててハンドルを右に切ろうとしたが、電車にハンドルが装備されているはずもなく、そのまま電車は吸い込まれるようにその白いアルハンブラ宮殿のような建物の中へ走りこんで木っ端のごとく砕け散ったかと思いきや、すんなりと裏口へ走り出て、見渡す限り緑また緑の大平原をさながら空を行くハヤブサのごとく、また室伏選手の両腕によって空中へ投げ出されたハンマーの如く疾走を続けたので、乗客たちは興奮のあまりおしっこを洩らしたり大粒の涙を撒き散らしたりしながら肩を組み、また抱き合いながら声を合わせて、
 「おお、おーおー、ありげーまじ~ら」
 と歌うように、祈るように、怒鳴り叫んだので、その声は遥か天空の彼方のあの世まで達して、昼寝していた亡者たちがびっくりして飛び起きて、その弾みで雲の隙間から下界へぼろぼろと零れ落ちて地球上のあちこちの国々へ災厄を撒き散らし始めたものだから、もう世界は阿鼻叫喚に満ち満ちて凄まじく、どこへ行っても、
 「おお、神よ、ありげまじら~せ!」、
 の祈りの声が耳を聾するほどに轟き渡り、地に伏して救いを願う人々の姿が野山を埋め尽くしていたが、それでもマラリアやペストや梅毒などの流行は止まるところを知らず、世界中に蔓延して人類を苦しめつづけ、このまま行けば人類滅亡も遠くないと考えた学者も少なくなかったようだったが、人間は意外にしぶとくて、右の頬を打たれたら左の頬を出すと言うような驚くべき新機軸を打ち出して病気を避けたり、叩いたり、閉じ込めたり、殺したり、排除したり、敬遠したりして生き延びる一方で、人類は呆れるほどの好色さを発揮して、春夏秋冬季節に拘らず、また昼夜の区別なく、また屋内屋外のお構いもなくどこでも、また老若美醜人種などの差別区別もなく誰とでも性交し始めたので、一時は絶滅が危惧されるほど減少した人口も一転急増に転じ、ほんの二世紀もせぬうちに「わが世の春」と呼ばれる人類大繁栄時代の再来を見たのであるが、悲しいかな
 粗製乱造のために人間の質は低下の一途を辿り、無知蒙昧・凶悪無恥なヒトが人間の大多数を占めるに至り、国家も社会も見る影もなく崩壊し、人々はシナントロプス・ぺキネンシス当時の姿にもどって、あちらの砂漠、こちらのジャングル、むこうの山奥とばらばらに群棲して、また昔のようにお互いに奪略や殺し合いを始めるようになったので、さすがのローマ法王も呆れて、
 「ああ、ありげまじら!」
 と天を仰いでお嘆きになったと言う話を誰かがしていたが、まさかあのローマまでが滅んでしまったのではないだろうな、と東京有楽町の闇売り新聞社跡を訪ねて訊いてみると、焼け残りのバラックのような建物に住んでいた自称社長というおっさんは、澄ました顔で、「ローマは一日にして滅びず!」と言った。
                                        (了)



 準備する女
                                        西方まぁき

 私の「あるじ」を紹介します。
 彼女は自称「作家」で「白いノート型パソコン」である私を使ってシナリオや小説を書いています。
 彼女としては「近所のスーパーでレジ打ちをするパート主婦」というのは、あくまでも仮の姿で、本業は「作家」というのが対外的に示したい人物像です。
 でも、実生活では私が見る限り「作家」と名乗れるほど書いてはいません。
 私を使って文章を書くのは、彼女が毎月応募している枚数の少ない小説コンテストの締め切り前の数日ぐらいです。
 彼女は「いつか書く長編小説」のために、膨大な時間を費やして「準備」をしています。
 毎日、新聞を隅から隅まで読み、ネタになりそうなドキュメンタリー番組や話題のドラマはまめに録画して観ていますし、新聞の書評欄で紹介された本を図書館から借りて読んでいます。
 「人間」を知るためにラジオの「人生相談」をかかさず聴いていますし、映画館の「サービスデー」には時間の許す限り話題の作品を観に行っています。
 自分の外見にはほとんどお金を使わず、感性を磨くためには出費を惜しみません。
 問題はこんなふうに「ネタ元」をインプットするのと同じぐらい、アウトプットする時間をとっていないということです。
 彼女はすべてにおいて、その傾向があります。
 パートの時給は国が定めるところの最低賃金をわずかに上回る程度ですが、彼女は決して浪費することなく、できる限り貯金しています。
 貯めて、貯めて、貯めて、老後のために準備して、準備して、準備しているのです。
 世の中には「その時はその時、なんとかなるさ」と楽観して、将来のために貯えない人もいますが、彼女はそういう人達を軽蔑すると共に、どこかでうらやましいと思っています。
 なぜなら、彼女はこれまで自分が困った時に誰かに助けてもらった経験が(まったく無いとは言いませんが)きわめて少ないからです。
 世間に対する不信感や、自分の気持ちを打ち明ける相手を持たないことが彼女を書きたいという衝動に導くのかもしれません。
 なぜなら、人は、うまくいかない事や、やりきれない気持ちを、自分の中だけに抱えていられるほど強くはないからです。
 ようやく彼女が私のところにやって来ました。
 家事の合間に新聞を読み、録画したテレビ番組を一・五倍速で観て、パートで働いて夕飯の後片づけを終えた彼女がやっと私のところにやって来たのです。
 「電源ボタン」を押して「ウィンドウズ」を起動します。
 さぁ、さっさと「ワード」を立ち上げて「小説」を書き始めなさい!
 おっと、まずは「アウトルック」を開いてメールのチェックか。
 「迷惑メール」を一通ずつ「迷惑メールフォルダ」の「受診拒否リスト」に入れて削除。
 この作業だけでもけっこう時間をとられます。
 お、「同窓会のお知らせ」が……。
 どーしよーかなー 行こうかなー やめようかなー 美容院行くの面倒臭いなー 会費高いなー 行っても自分は自慢できることなんてなんにもないしなー
 そんなこと呟いている間に「ワード」を立ち上げて一行でも書き始めるのです。これは「命令」です!
 おっと、その前に「インターネット」を立ちあげて、今日のニュースをチェックか。
 お、こいつは誰だ?
 よし、ウィキペディアで経歴を調べてみよう……
 好奇心が旺盛なのは結構ですが「そんなこと」をやっている間にどんどん時間はたっていきます。
 そしていつものようにあくびをして……
 「風呂入って寝よ」
 『また今日も一行も書かなかった』って?
 な・さ・け・な・い!
                                        (了)



 卒業・うそ・それから
                                        いとうりん

 「卒業したら東京へ行くの?」
 ノートの文字をなぞりながらルミが言った。
 「たぶん……受かれば……」
 「バレンタインのチョコ食べた?」
 「食べたけど」
 「毒入りだよ。あのトリュフ」
 「ふうん。でも俺、生きてるけど」
 「毒が効くのは受験の頃。きっと落ちるわ」
 「悪い冗談はやめてくれないか」
 軽く睨んで、問題集に視線を戻した。
短大への進学が決まっている君とは違う。
埋まらない解答欄に苛つく。受験は3日後。
合格する確率は五分五分。
 ブラインドから、西陽が差し込む。
向かい合わせたルミは、呑気に居眠りだ。
誰もいない夕暮れの学習ルーム。
無防備な横顔に、縞模様の赤い夕陽が射す。
 「すき」ふいに聞こえた、ルミのつぶやき。
 聞こえないふりをして、問題集を閉じる。
 「ルミ、帰るよ」
 幼稚園から高三まで、ずっと一緒に帰った。
大切な、大切な、僕の妹。

 父さんの再婚相手には同じ年の娘がいた。
 「誕生日が早いから、お前がお兄さんだよ」
 よくわからないけど嬉しかった。
宝物みたいな可愛い妹。それがルミだ。
黙って母親にしがみつく小さなハニカミ屋。
優しく差し出した僕の手を、ぎゅっと握った。
たぶんその瞬間から、ルミは僕の妹になった。
たとえ血が繋がっていなくても。
 もしも……と、あの日ルミは言った。
 「他人だったらよかったのに」
 苦いブラック珈琲を、僕の真似をして飲む。
無理して飲むから不味そうだ。涙が浮かぶ。
 「不細工だな」
 涙は珈琲のせいではないと知りながら笑った。
他人になんてなれるわけがない。
 いつからか、気づいてしまったルミの想い。
妹としか見られない。あの頃も、今も…。
 「もしも」はないんだ。
 だから僕は、離れることにする。
ルミの進学が決まった後、志望校を変えた。
互いのため、それが一番いいと思ったのだ。
 大学は東京を選んだ。ひとり暮らしをする。
ルミは唇を噛んでひとこと言った。「バカ」。
会話のない、寒い二月の帰り道。
チョコレートが、僕の顔面に飛んできた。
 「食べなかったら殺すから」
 ラッピングが崩れている。
ルミがこっそり作っていた不格好なトリュフ。
不機嫌な白雪姫。
目覚めのキスをするのは、僕じゃない。

 いつのまにか、すっかり暗くなっている。
 「ルミ、帰ろう」
 薄暗い学習ルームに響くチャイム。
紫の黄昏に街の灯りが揺れる。
ルミが突然、消しゴムを投げつけた。
立て続けに、ノート、マフラー、ペンケース。
スマホに手をかけたルミを、さすがに止めた。
ため息まじりにスマホを離してルミが言う。
 「うそつき」
 きつく結んだ唇からこぼれたつぶやき。
 「キスしたじゃん。去年、あたしの寝顔に」
 逃げ場をなくした野良犬みたいな気分だ。
だって僕自身、説明できないんだ。
 「誰かいるのか?」
 階段を降りてくる先生の足音。
咄嗟に散らばった文房具を拾って外に出た。
 たくさんの人で賑わう街を少し離れて歩く。
靴音が揃っているのに、距離は縮まらない。
イルミネーションがいつになく冷たく感じる。
ルミの言葉が、僕の背中を刺す。
 「好きなんでしょう。いい加減認めなよ」
 「よくわからないんだ」
 「だから東京へ逃げるの?」
 伸びた影が、外灯の下で重なる。
ルミが僕の背中にくっついた。胸が熱い。
 「痛い」
 「いたい?」
 「今ごろ毒が効いてきたみたい」
 「入れてないよ。冗談に決まってるでしょう」
 「ううん。毒じゃなくて、たぶん…自白剤」
 妹だと言い聞かせて、封印した気持ち。
チョコと一緒に、胸の奥で溶けた。
立ち止まった交差点、ルミがポケットを探る。
瑠璃色のお守りを、車のライトが照らす。
 「素直になったご褒美。受験頑張って」
 照れたように、ルミが今日初めて笑う。
 「受かったら東京だよ」
 「四年くらい、どうってことないわ」
 笑える。文房具を投げたことなど忘れてる。
ルミはきっと不安だった。
確かなものが欲しかったんだろう。
 腕を不意に掴まれた。「信号青だよ」
夜の街を並んで歩く。同じ歩幅の歩み。
未来のことはわからない。
今大切なのは、受験と、君への素直な想い。
今まで言えなくてごめん。
                                        (了)



 単身赴任戦記
                                        家間歳和

 僕の日本語は少し妙だと綾架は言う。
 何か不思議な規則性があるとのこと。
 自分ではその意味がよく分からない。
 外見は誰が見ても日本人そのものだ。
 しゃべる言葉も流暢な日本語のはず。
 しかし僕が日本人ではないのも事実。
 目に見えない違和感が存在するのか。
 綾架以外に指摘した日本人は皆無だ。
 たいした違和感ではないのだと思う。
 その綾架の唇が大きくとがっていた。
 カフェの片隅で僕の対面に座る彼女。
 窓の外から太陽光が降り注いでいる。
 彼女のカップが反射して僕を射した。
 無意識の内に視線をそこから外す僕。
 彼女はカップをカタンと強く置いた。
 あわてて僕は綾架の顔に眼球を戻す。
 とがった唇は最大級の怒りの表情だ。
 言い訳をしたいが言葉は浮かばない。
 無言のにらみ合いが延々と時を刻む。
 先ほどの自分の行動に後悔が渦巻く。
 数分前に僕はこの場で電話をかけた。
 故郷にいる我が妻へのラブコールだ。
 綾架との約束時間は三十分後の予定。
 まだ来ないと高をくくっての行動だ。
 まさか三十分も早く到着するなんて。
 まさか背後で内容を聞かれるなんて。
 修羅場の始まりは当然の流れだった。
 僕は単身赴任でこの地にやって来た。
 故郷には妻と二人の幼い子供がいる。
 港ごとに女を置くことが男の甲斐性。
 我が故郷では当たり前の言葉である。
 各地の同胞は例外なく実行している。
 長くて辛い重労働の単身赴任生活だ。
 それぐらいの甘い汁は妻も黙認する。
 我が故郷ではごく一般的当然なのだ。
 だが赴任先でも一般的とは限らない。
 当地日本においても不倫は存在する。
 ただし公然たる行為ではないらしい。
 大多数を占める中心思想は不倫否定。
 それがここ日本の一般的当然なのだ。
 僕が当地で見初めた女性がこの綾架。
 もちろん妻の存在など話していない。
 だからこそ現修羅場が誕生したのだ。
 無言のにらみ合いが延々と時を刻む。
 展開の行き先がとんと見当たらない。
 そのとき僕のスマホが卓上で震えた。
 綾架の顔をうかがいながら手に取る。
 緊急な仕事の発生を伝えるメールだ。
 行かねばならないと綾架に説明する。
 彼女は仕事の重要性を熟知していた。
 だから無言のまま承諾の顔を示した。
 必ず帰って来て謝罪と真意を述べる。
 終わり次第戻るので待っていてくれ。
 そう言い残して僕はカフェから出た。
 正直なところ少し安堵する僕もいる。
 とりあえず修羅場の修復は後回しだ。
 今は仕事の方に集中し全力を注ごう。
 人のいない裏道に入り身換機を起動。
 体全体がシルバーの皮膚に変化する。
 特殊装備が次々と出現し身をおおう。
 周辺ビルを超える身長に巨大化する。
 故郷での本来の僕の容姿に変身した。
 大きく地を蹴って空に向かって飛ぶ。
 目的地である中心街まで高速飛行だ。
 街で暴れる怪獣の姿が視界に入った。
 我が星で言うGR505型の怪獣だ。
 こちらではゴジラ型と呼ばれる奴だ。
 地球警護軍の戦闘機が応戦している。
 あっサイキョーマンが来てくれたぞ。
 周囲で見物する民衆が歓声を上げる。
 K47星雲から来たサイキョーマン。
 妻子を故郷の星に残してやって来た。
 単身赴任で地球を怪獣から守る英雄。
 それが僕の現状であり現任務なのだ。
 怪獣の左斜め正面側に僕は着地する。
 周りのビルの配置を一瞬で確認した。
 極力周囲の建物は壊さない戦い方を。
 地球警護軍から常に言われる要望だ。
 必殺の光線さえ使えば一撃で勝てる。
 だがその破裂片は周りの破壊を伴う。
 街部では要注意の必殺技なのである。
 僕はパンチとキックの嵐を浴びせる。
 力任せの体当たりで反撃をする怪獣。
 若干の後退動作で衝撃を吸収する僕。
 間髪入れず相手の腹部に頭から突進。
 そのまま腕の力で頭上に持ち上げる。
 周囲を確認して右後方に放り投げる。
 隣接する公園の広場に怪獣が落ちる。
 僕も急いでその広場にジャンプする。
 怪獣までの距離と周りの状況を把握。
 そして左右の手を交差して発射する。
 最強の必殺技である分子壊滅光線を。
 爆音とともに粉々に破壊される怪獣。
 周囲への影響も皆無の完璧な仕事だ。
 見物する民衆から歓喜の声が上がる。
 地球警護軍から感謝の意が示される。
 僕は空を見上げて大きく飛び立った。
 向かうは対怪獣よりも厳しい戦闘地。
 カフェで待つ綾架という難敵の元だ。
                                        (了)



 君を操る何者か
                                        華月麗唖

 “彼の名は、根来颯人。二十五歳。冴えない就職浪人生だ。仕事が決まって一度は安定するも、長続きはせず入退社を繰り返し、自ら招いた苦労の日々に先行き不安な現実を抱えている。昨日同様、彼は混雑する職業安定所内の受付で空席番号札を受け取ると、指定席へ向かう。タッチペンで画面に触れ、検索を開始。以前は、様々な条件付きで仕事を探していたが、近頃ではそれもしなくなっていた。希望職種を幾つかに絞ると、プリンターで印刷し、相談窓口で紹介状を書いてもらう。根来の日課だ……。”
 「ちょーっと、待った! そこのクズ野郎」
 クズ? 誰のことだ。間近で聴こえる罵りに、私は慌てて手元のシナリオを閉じる。「お前だよ。そこの下手な語り手」何処かの遊牧民かと見間違えそうな風体の漂う、紫色の長い衣を羽織った男が不機嫌そうに私を見つめていた。彼は、私の返答を待たずに言葉を繋ぐ。
 「駄目、駄目。そんな、在り来たりな展開じゃあ。聴いていて、呆れ返るね」「君、何者だ」「俺は、お前のつまらない語り調子を修正するために登場を許された、もう一人の語り手だ」新たな語り手だって? 馬鹿なこと、有り得るはずがない。物語の主人公を動かす源も、語り側である私の進行諸とも全て、この掌中にあるというのに。「悪いが、何か勘違いでもしているんじゃないのか。君の居場所はここにはない」私は一言吐いて、巧くかわしたつもりだったが、甘かった。相手は更に食い下がってくるではないか。「そんな悠長な事を言っている暇があるのか? ほら、見てみ。自身の行動を判断しかねた主人公が戸惑い始めている」不敵な笑みを浮かべる男に気を取られていた私は、彼の言葉に我に返り、二つの空間を結ぶフィルターを通して、世界を覗き込んだ。語り手である私の指示を失った主要人物は、捌く心を失い、ただ足踏みを繰り返すだけだ。
 「仮想は現実。彼等は、我々にとって一種のあやかしだ。また彼等にとって、我々の存在も幻影。しかし、我々の力がなければ奴等が身動く事は不可能。まあ、見てろ。俺が面白い展開に変えてやるから」自信に満ち溢れた声で、彼は私の手元のシナリオを奪い取る。「な、何をする! やめろ」私は必死に抵抗したが、敢えなく無駄な行為と化してしまった。もう一人の語り手と名乗る男がシナリオを読み始めると、消耗しきった電気的装置の如く、途方に暮れていた根来颯人が動き出す。
 “「すみません。これ、お返しします」一度は受け取った番号札を受付嬢に渡した根来は、何かを想い出した様にいそいそと職業安定所を後にする。どうやら、想うところあっての行動の様だ。彼が行き着いた場所は、他でもない自宅。自室の片隅に眠る、頑丈な造りである貯金箱の開口部に、根来は三年振りに指先をかけた。錆びた音を起てて、金属製の箱が開かれる。露になった額を、根来は指折り丁寧に数え始めた。全て、小銭ばかりだ。総額、八千六百円。僅少の蓄えを懐に抱えて向かった先は、宝くじ売場。根来はなけなしの銭を使い、一攫千金を狙って、賭けてみることにしたのだ。決心は誤っていなかった。根来の購入した数十枚の紙切れの内、一枚が見事に高額当選した。”
 「どうだ? 我ながら、いい出来映えだと想うんだが。仲間に吹聴して回りたい気分だぜ」彼は、したり顔で言うが、私にはしっくり来ない。寧ろ、面白い展開だとは到底想えない。在り来たりという言葉を、そのまま弾き返したい位だ。だが、言ったところで無意味だろうから、止めておく。「私の考えたシナリオ通りの方が地味だけど、現実味があると想うんだが」小さく、自分を主張してみる。「まあまあ。結果的には良かったんじゃね。主人公が満たされたんだから。まだ、続きがあるんだよ。いいか、聴いてろよ」けれど、突如、その男は姿を消してしまった。潔く、引き際を選択したのか。いや、あれほどの被承認願望の強い男が、容易く引き下がることがあるのだろうか。どちらにせよ、今、語り手の主導権は私にある。彼が導いた都合の良い展開に、私が納得するはずはないのだ。ここはとりあえず、主人公・根来の夢オチということで、結末を丸く収めようと想う。
 「おやおや、語り手同士の主張が噛み合わず、対立してしまった様ですね。収拾がつかないので、僕が一人を消去しました。そう。彼を登場させたのも、この僕。え、僕は誰かって? それは極秘です。あなたの物語は、気まぐれな語り手によって日々、紡がれています。時に語り手は複数になり、展開を複雑に歪めてしまうこともあります。語り手が、脚本を完全放棄することもあるでしょう。そうなれば、登場人物達は永久に迷宮を彷徨うことになります。哀しい展開は極力、避けたいですね。さて、僕は温かい珈琲でも飲もうと想います。最近、シナモンを少しばかり足すのが自己流なんですよ」
                                        (了)



 決着
                                        神田章

 中学校を卒業して高校に入る前の春休みのことだった。溝口耕平は服を買いにスーパーモールIにいた。百六十五センチ、五十三キロ、小柄だが可愛いイケメンだ。耕平がスポーツ用品コーナーを通り過ぎた時、女子三人が「キャー、キャー」と言って耕平を呼び止めた。だがその場にその女子達の彼だという不良そうな男子三人が現れ、耕平に因縁をつけ、屋上に連れて行こうとしたのだ。
 一方、スポーツ用品コーナーにいた高橋京子はその様子を一部始終見ていた。百七十五センチ、六十五キロ、目鼻立ちが整った美人で空手二段、耕平と同じ年だ。京子は自然と七人の後を追った。屋上で一人の男子が耕平の胸ぐらを掴み、グーに握った右手を後に引いた時、
 「待て、可愛い男一人に悪そうな男が三人もかかって何するのじゃ」
 京子は何のためらいもなく男子三人に歩み寄った。当然ケンカになる。三人の男子が一斉に京子に殴りかかってきたが、京子は正面の男子には右の正拳を顔面に、右の男子には右の横蹴りを鳩尾に、左の男子には左の横蹴りを鳩尾に入れた。ほんの一瞬のことだった。程なくして三人は化け物を見たかのように女子と共に慌ててその場から逃げ去った。耕平はあっけにとられ「有難うございました」と言うのがやっとだった。すると京子は「礼はええ、高橋京子や、オレの男になれ」と男口調で言うのだ。耕平は恐怖を感じたが、あまりの綺麗さに思わず「はい、溝口耕平です」と言い、その場はメルアドと携帯番号を交換して別れた。耕平は嬉しかった。
 三日後、耕平はT高校一年一組になった。入学式が終わり、教室に入ると一番後ろの席で長い両足を机の上に上げている女子がいた。小田けいこ、百八十センチ、六十三キロ、少林寺拳法二段だ。周りにはいかにも悪そうな男女三人ずつが立っていた。その女子はおそらくそのグループのボスなのだろうと耕平は思った。視線を合わせてはまずいと思い、視線を逸らせたが既に遅かった。
 「お前、ちょっと来い」
 けいこに呼び止められたのだ。
 「はい……」
 やばい、メンチ切ったと因縁をつけられ、殴られるかと思いながら、恐る恐る近付くと
 「何もびびらんでええ、ワシは小田けいこや、ワシと付き合え、名前は?」
 けいこは立ち上がり、上から見下ろすように言った。
 「はい……溝口耕平です」
 首がおかしくなる位、上を見上げて答えた。殴られなかってよかったが、とんでもないことになってしまった。これから京子と二股をかけることになるのだ。それも二人共恐怖だ。
 その日、学校が終わり七人で駅まで歩いて帰った。耕平はけいこに肩を組まれている。駅前のコンビニの前では怖そうな男子五人がたむろしていた。柄が大きく、おそらく高三位だろう。すると何ということか、けいこは一人でその男子の群れに近づき
 「ワシはT高校一年の小田けいこや、お前ら金貸してくれや」
 かつあげをしたのだ。
 「お前、一年か? 誰に言うてるんや、俺はT高校三年で番長の山下茂樹や」
 「ちょうどよかった。今日からワシが番長や」
 その言葉を聞き、茂樹は何の前触れもなしに、けいこに右ストレートを放った。するとけいこはそのパンチを左手で払い、右の正拳を鳩尾と顔面に入れたのだ。一瞬だった。茂樹は何が起こったのかわからず、息ができなくなり、鼻血を出してその場に転げまわっていた。他の四人はあまりの恐ろしさに慌てて走って逃げて行った。しばらくして茂樹は起き上がり、一万円渡して、番長の座を譲ったのだった。耕平はけいこの本当の恐怖と悪を感じた。
 翌日、耕平は京子に思い切って学校でのことを打ち明けた。すると京子は耕平に一発ビンタをはり、耕平をどちらのものにするか、けいこと決闘するというのだ。その翌日、耕平は勇気を振り絞り、けいこにも同じことを打ち明けた。けいこも京子と決闘すると言う。そういう宿命だったのだろう。
 決闘は神社の境内だった。恐ろしい女二人の戦いだ。五分位死闘が続いたが、けいこが渾身の力を込めて右の回し蹴りを放ったとき、京子にかわされて尻餅をついたのだ。すかさず京子はけいこの後ろにまわり、右手でけいこの首を絞めたのだ。するとけいこは右手で二回京子の手をたたき、決着がついたのだった。激闘の後が窺えるほど二人共顔面が血だらけだった。耕平は両手で顔を覆っていた。
 晴れて、耕平は京子のものになり、けいこは耕平には手を出さないと、女の中の男の約束をして、京子の配下になったのだった。
                                        (了)



 SF小説
                                        溝口さと子

 「いやはや、まあ、酒の味を知らないものは人生の半分を損している、とは酒飲みの言だが。いやはや、まあ、そこを行くと私なんかは人生を、人の三倍ほど得しているな。なんといっても、誰も知らない、飲んでも飲んでも酔わない酒を知っているんだから」
 サラリーマンらしき男がそんなことを言いながら駅につくと、終電はとっくに行ってしまっていた。駅前にある自動販売機だけが寂しく光を投げかけている。
 「あちゃあ。どうするの、どうするの。どうやってお家まで帰るんですかあ、歩くの? 歩くんですか? タクシーなんかまったく通らないじゃない。どうするの?」
 男は一人でぶつぶつとつぶやき続ける。ふと、男の耳にレールがきしむ音が聞こえた。そちらに顔を向けると、電車が青いライトを光らせて、駅に入ってくるところだった。
 「回送電車かなあ。あれでもいいから家まで乗せてくれないかなあ。おい、おおい。乗っけてくれえ」
 男は電車に向かって両手を振った。鞄がどさりと足元に落ちる。
 電車はゆるゆると速度を落とし、駅に止まると、誰もいないプラットホームに向かって扉を開いた。
 「うっははは。ついてるよ、ついてるよ。止まってくれたよう。乗っけてくれえ」
 男は鞄を忘れたまま駅へ急ぎ、改札の止め板を乗り越えてプラットホームへ走る。男が電車に乗り込むと、扉は音もなく閉まった。
 大勢の乗客がいる。男は驚いてヒックとしゃっくりをした。四人がけのボックス席が一つだけ空いていた。うつむいた若い女の隣に座る。向かいの席の老人二人も、やはりうつむいて眠っているようだ。深夜になれば皆眠いのだなと、男も腕組みをして目を閉じた。

***もしもあなたが二日酔いや浮腫、高血圧にお悩みなら酒は養老! 明日に残らない、酔わない、奇跡の酒!***

 ふと目を覚ますと、隣の席の女がいない。どこかの駅で降りたのだろうか。向かいの老人達もいなくなっている。不安になって立ち上がり見渡すと、電車の中は青いライトに照らされて、夜の水族館に迷いこんだようだった。いつの間にやら、乗客は一人もいなくなり、車内はシンと静まっている。
 「しまった、寝過ごしたか。いったいここはどこだろう?」

***毎日、安眠できますか? 悩みごとは小野カウンセリングルームへ***

 首を伸ばし窓の外をのぞいてみたが、真っ黒なだけで何も見えない。そう言えば電車が動いているガタンゴトンという揺れもない。
 「もしかして操車場まで運ばれちゃった? まずいぞ、まずいぞ」
 男は独り言をいいながら通路を後方へと歩く。焦りが足元から背筋を駆けのぼり、髪の毛が逆立つようだった。手近なドアに手をかけ力をこめたが、ドアはびくともしない。
 来た道を取って返し、先頭車両に向かう。知らず知らず早足になった。
 それでも気持ちが急いて、いっそ走り出そうとしたとき、座席に座る一人の老婆に気がついた。
 「お母さん! なんでこんなところに」
 男が思わず大声を出すと、三年前に亡くなったはずの母親が、顔を上げて立ち上がった。
 「あんたはまあ、いくつになっても粗忽が治らないねえ。酔わないお酒で酔っ払って。本当に困った子だよ」
 「まったくです。私は乗り過ごしたようだ」
 老婆はまた深いため息をついた。
 「あんたのうっかりは筋金入りだ。ここは人生の終点。あんたの目的地だよ」
 男はぽかんと母親の顔を見つめた。左右を見渡すと、閉まっていた扉がいつの間にか開いていた。扉の向こうは真っ暗だが、一本道がほの青く光り、遥か彼方まで続いていた。
 「あんたは間違ってあの世行きの列車に乗ったのさ。だから私がいるんじゃないか」

***安らかな眠りのための公園墓地。青柳霊園は駅から近く便利です。***

 「それじゃあ、お母さんは私を迎えに来てくれたんですか?」
 「そう、三途の川の水先案内人さ。さあ行こうかね。ここから坂を下って少し歩くよ」
 母親に促がされて男は電車を降りた。二人の姿が遠く見えなくなった頃、電車のライトは息を吹きかけたように、ふうっと消えた。

***この物語はサケ・フィクションです。あなたがどんなに渇望しても、文中に登場するお酒は、実在しません***
                                        (了)



 レールの上を
                                        稲垣勝己

 電車が走っている。赤い三両の電車が、楕円の青いレールの上をコトコト音をたてて回っている。
 春の光が緑色のじゅうたんを照らす。今日は日曜日。電車のまわりには、七歳と五歳と三歳の三人兄弟がいた。遊んでいる途中で、三歳がいきなり電車をつかむ。それを見た五歳が怒って、電車の取り合いになる。やがて、七歳が、二人のケンカを止める。ふたたび、電車はレールの上にもどり、走り始める。こんなことが、ずっと繰り返されていた。
 そんな電車のおもちゃと遊ぶ三人の子供たちを写した写真が表紙になっている古びた雑誌を片手に、暑い夏の中、さっそうと街を歩く女性がいた。彼女はモデルで、丁度、写真撮影中だった。秋に出る新しい化粧品のポスターに使われる予定だった。彼女は、美しく、その笑顔は輝いていた。
 最近、彼女は失恋をした。三年間付きあって、結婚も考えていた。しかし、男が突然、仏の道に進むと言い出したのだ。普通の三十歳のサラリーマンの男だった。彼女はショックを受けて泣いた。男は何も言わず消えた。今、その男がどこにいて、何をしているのかもわからなかった。早く忘れてしまいたかった。彼女にとって、モデルの仕事は生きがいであった。今、彼女は街を歩いている。
 片手に雑誌を持った若い女性が、さっそうと歩く大きなポスターが、都会の駅前のビルの壁にでかでかと貼られている。季節は秋。その前を多くの人が行き交っている。人々はみんな黒っぽい。白いマスクをしている人も多い。枯れ葉がカラカラと人を追いかけている。秋の風景がそこにあった。それをテレビ局がニュースに使うため撮影をしていた。
 カメラマンはふと思う。いつも秋になるとこんな風景ばかりを写している。マンネリだ。もっと新しい秋の風景があってもいいと思う。そんなことを考えながら秋の風景を写した。
 寒い地方の山寺にひとりの修行僧がいた。その夜、自分の部屋にもどり、テレビをつけた。ニュースは、秋の都会の人々が多く行き交う場面を伝えていた。そのまま、ずっとテレビを見ていると、近所に住む知り合いの男がやってきた。彼は画家でまだ若かった。毎日新しいテーマを求めて歩いていた。その男は、テレビを見ている僧をスケッチした。少しだけ話をして画家は帰っていった。修行僧は、サラリーマンをやめて、女を捨てて、仏の道に進んだ。その道は、想像していたより厳しい。時々、元恋人を思い出す。悪い事をしたと思う。彼女には幸せになってほしいと今は願う。
 ある日、私が家に帰ると、ポストに一通の手紙があった。切手を見ると、一瞬で、違和感を感じた。変な切手だ。つるつる頭の僧らしき人が、黒い着物を着て、ピーンと背筋をのばし座って、真正面の大きなテレビを見ているところを、後から描いた絵だった。いつも、落ち着いた気持で、安定した気分でいたいものだ。なぜか、こういう新しい感覚のものを見たりすると、心がざわついてしまう。不快感さえ感じてしまうことがある。
 手紙は、弟からで、近日、遊びにやってくるという内容だった。弟は、三人兄弟の末っ子で、今は鉄道員をやっていた。私たち兄弟は、小さいころ、電車のおもちゃで、よく遊んでいた。もう四十年くらい前のことだ。みんなで遊んでいると、父親が、部屋に入いって来て、私たち三人と電車をカメラで写してくれた。父親はカメラマンで、その写真を、ある雑誌の表紙に使われたこともあった。
 玄関の戸を開け家に入いろうとした時、近くで女の声がした。
 「いいかげんにして! 私に近寄らないで!」次に男の声が聞こえた。
 「ごめん。ゆるしてくれ。オレは、仏の道に進もうと思ったけれど、だめだった。オレには、君しかいないんだ」
 「いやよ、何よ今さら、ストーカーみたいに追いかけて来るのはやめてよ」
 「ゆるしてくれ!」
 私は家に入いる。
 家の中はシーンとしている。部屋の灯りを点けた。カラッポだった。妻の名を呼ぶ。さびしく響く自分の声だけを聞く。
 妻は、私の浮気に気づいたのだ。それが、この答だと私は思った。
 その晩、夢を見た。
 電車が走っている。赤い三両の電車が、楕円の青いレールの上をコトコト音をたてて回っている夢を。
                                        (了)



 オノマトペ王国
                                        梅香

 大阪に異動が決まった。着任の前日、俺は新大阪に降り立った。改札口に向かう。ところが自動改札の前に来て切符が無いことに気が付く。探していると、張りのある声が背後から覆いかぶさってきた。
 「あんた、なにもたもたしてるん。ちゃっちゃとしいや」
 はあ?ちゃっちゃ?別の中年女性が言う。
 「やいやい言うたりな。なあ、兄ちゃん」
 「はよはよ。ちんたらぽんたらしてんと、ちゃっちゃとしい」
 意味がわからない。大阪のおばちゃん、怖い。そう思いながらぼうっとしていると、なんとそのおばちゃんはズカズカとこっちのテリトリーに踏み込んでくる。
 「あんた、切符探してるん?」
 「そんなとこ、ぐちゃぐちゃ探してても埒あけへんで。バアーっとカバンの口開け!」
 そう言って勝手に他人のカバンを開ける。
 「こうやって、ぐわあと開けてぶわあって中身をぐりぐり掻き回すねん。ほら、あった」
 「あ、ありがとうございます」
 俺はあわてて改札口を通る。一刻も早くこの場を離れたい。
 「なあ、兄ちゃん。どこまで行くん?」
 「な、なんばです」
 「ほな、そこの階段ちょちょっと降りて、きゅっと曲がってがーって行ったとこのドン突きが地下鉄や。がんばりや」
 それだけ言っておばちゃんは去っていった。ちょちょっと降りる?さすが大阪は日本の外国と言うだけはあるとため息が出た。
 翌日出社し、改めてそのことを実感した。
 「彼が、東京から来た大野君。よろしく頼みます。なに、でれっとしてるねん。しゃんとして挨拶しいや」
 みなの好奇に満ちた視線に声が震えた。
 「今日からこちらで、お、お世話になり…」
 「いやー、黙ってたらシュッとしたええ男やのに。おしいわー」
 「ほんま。しゃべったら、えらいもっちゃりしてるわ。期待したのにしょぼ」
 事務員たちが聞こえよがしに言っている。
 「東京のセンスで、ごっつい成績上げてや」
 その一言で着任の挨拶がしめられた。
 先輩と一緒に得意先の挨拶回りに行く。
 「新人さんかア。まあボチボチがんばりや」
 「ちょくちょく顔出すんやで」
 「はあ……」
 「ちゃうちゃう。そこは『はい』やろ」
 「はい」
 「そや」
 肩をぼーんと叩かれた。
 一日が終わってエネルギーを全て使い尽くした気がした。
 挨拶回りも一通り終わった頃、引き合いがあった。
 「これで作ってもろたらなんぼや」
 「はい、社に帰って見積って来ます」
 「そんなんええねん。ざくっと、だいたいいくらやって聞いてるねん」
 「ざくっ?」
 「そや、ざっくり、あらあらでええねん」
 「……」
 「なにおねおねしとんねん。うにうにしててもなんもええことあらへんで!」
 叱られていることだけはわかったので、謝って得意先を出た。
 社に帰って上司に報告すると、いい加減な回答をしなかったことを褒められるどころか叱られた。
 「そんな対応もできへんのか。ざっくりいうたらええ加減でええねん。相手も承知や」
 落ち込んだ。
 「えらいとこ来たと思てるんやろ。そんなことないで。うだうだ思ててもしゃあない。早いこと、こてこてのおっちゃんに慣れや」
 それから数ヶ月が過ぎた。
 「まいどお。おおきに。こないだ聞いた見本持って来ました。この生地でよろしいですかあ?」
 「うーん。こないにツルツルとちゃうねん。もうちょっとてろてろした感じや」
 「ほな、こっちはどうです」
 「いや、これはしなしなしてるやろ」
 「もう少し薄くですか」
 「ちゃう、ちゃう、ちゃう、ちゃう」
 だんだんそれで通じるようになってきた。が、営業成績に反映される所まではいかない。
 「もっとガバッと注文とって来んかいな。こんなんやったら、涙ちょちょ切れるわ」
 こっちの涙がちょちょ切れる。泣きながら布団に入った。
 ブーン、ブーン、ブーン。携帯のバイブが震えている。目を開けると新幹線の中だった。もうすぐ新大阪だ。あのオノマトペ王国は夢だったのだ。新幹線のドアが開く。俺は大阪に上陸した。そして、ちゃっちゃと改札口を通り抜け、ちょちょっと降りてきゅっと曲がってがーと進んでドン突きの地下鉄に乗った。
                                        (了)

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