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2009年5月

言葉処 其の91「芸人言葉の妙」

タレントは言葉を商売道具としているだけに、その“発明”には感心させられる。曰く、白けることを「引く」、もっと引くと「ドン引き」、ウケないと「すべる」、その心情は「痛い」、状態は「へこむ」。その多くが和語なのは、漢語より意味が広く転用しやすいからだろう。千原ジュニアが言う「残念な兄」は漢語ながら、ありそうでなかったということでは絶妙な言いまわしだ。

しかし、「言うても」の使い方は今いち気にいらない。「言うたら」は「言ってみれば」で、「言うても」は「言ったとしても」という意味だと思うが、最近は意味のない間投詞として使われている気がする。「嗅いでみて」の意で「におってみて」と言うのも引っかかる。「嗅ぐ」のは人の意思だが、「におう」は違う。関西では「におう」を他動詞として使うらしいので、その影響か。

これら今風の言葉が頭にあると、古い小説を読んだとき変な感覚を味わうことがある。たとえば、円地文子の小説『鬼』には、「普通に日本各地に昔から伝わっていた狐憑きなどの現象のほかに」という一文があるのだが、これなどは「普通にうまい」といった言い方に思えてしまう。また、作者は忘れたが、「あると思います」などもよく見かける。これなどは今読むとまるで天津木村だ。

太宰治の『走れメロス』には「そうです。帰って来るのです」とあり、思わず川平滋英風に「レインボー」と付けたくなってしまった(あれ、ちょっと古かった?)。古いつながりで言えば、「そうなのだ」のように語尾を強調した言い方をされると「バカボンのパパ?」と思ってしまう。文豪たちも、まさか半世紀を経て、そんなツッコミをされるとは夢にも思わなかっただろうね。黒)

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言葉処 其の90「『うらぼん』ってどんな本?」

ぼんやりしているときに「せがき」と言われ、なんだか分からなかった。「背書き? なんか書くの?」と問うと、「ウラボンだよ」と。よくよく聞くと「施餓鬼」、つまり仏教の行事のことだった。ちなみに一般に「お盆」と言われる「盂蘭盆」はサンスクリット語の「ウランバナ」の音写語だそうで、当たり前だが、エッチな裏モノの写真集を指す俗語「裏本」とはなんの関係もない。

「お盆」のように宗教から来た言葉はあまたあり、「内緒」もそう。仏教用語では「内証(ないしょう)」と書き、これは内心の悟りのこと。「嘘も方便」の「方便」も仏教由来で、これは衆生を救うための詭弁。「油断」は、『涅槃経』にある「壺の油を一滴でもこぼしたら命を絶つぞと言われた」という話が語源。この「涅槃」は「ニルヴァーナ」の音訳で、不生不滅の境地のことだ。

力むときに言う「どっこいしょ」は、霊山に登るときなどに言う「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が語源という説も。「彼岸」はもちろん仏教用語で、「此岸(現世)」に対して「彼岸」、つまり「向こう岸」という意味。ただ、ニーチェの『善悪の彼岸』の「彼岸」は「超越したもの」という意味であり、お彼岸の過ごした方について説いた本のようだが、むろん、そうではない。

よく「人生、万事塞翁が馬」と言うが、正しくは「人間(じんかん)」であり、意味は「世間」で、これも仏教用語の一つだ。ほか、「迷惑」「面目」「融通」「奈落」「皮肉」など、仏教由来の言葉を挙げればキリがない。普段は至って無信心でも、身の周りは意外と宗教だらけだ。ちなみに「キリがない」の「キリ」は、仏教ではないが十字架を意味する「クルス」が語源という説も。(黒

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言葉処 其の89「今なお続く自粛ブーム」

ポール・マッカートニーの『Hi! Hi! Hi!』はドラッグ体験を歌ったもので、「Body gun」という歌詞が猥褻だと問題になったとき、ポールは「『Polygon(三角形)』と言ったのだ」と釈明した。ビートルズの『Lucy in the Sky with Diamonds』はLSD体験を歌にしたものと言われているが、ジョン・レノン自身は息子のジュリアンが描いたサイケな絵から着想を得たと言っている。

これらの曲は放送禁止になったり、なりかかったりしたようだが、禁止の条件は世界共通ではなく、また基準そのものも曖昧だ。放送コードにしても、具体的にこの言葉はだめという決まりはなく、時代性を鑑み、そのつど判断されているようだ。では、誰が判断しているかというと、戦前の言論統制とは違って“お上”ではなく、メディア側である。つまり、自粛ということだ。

それはいいが、問題は自粛の実態が配慮ではなく、クレームになったら面倒という事なかれ主義にあること。だから、言葉尻をとらえ、差別語ではない「片手落ち」といった言葉を排除したり、職業を聞かれた本人が「百姓です」と言っているのに、慌てて「ただいま不適切な発言があったことをお詫びします」と謝罪したり、手塚治虫や梶原一騎の名作のセリフを空白にしたりする。

今、「屠殺場」は「食肉加工場」に言い換えられるが、「食肉加工場のような殺人現場」としても差別であることは同じ。一方、「そこに屠殺場がある」に差別の意図はないが、一律NG。これは言葉さえ狩れば差別はなくなるという安易な発想を生む。そこで今は差別語かどうかではなく、差別の意図があるかどうかで判断するようになっているが、それでも今なお過剰な自粛は続く。(黒

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言葉処 其の88「日本語と外国語の“アナ”ロジー」

日本語として読むとおかしな印象になる外国語がある。「ホモ牛乳」は「ホモジナイズド」(均質化)の略だそうだが、学生の頃は、よりによってなぜ「ホモ」なのかと不思議だった。風邪薬の「ベンザ」は抗ヒスタミン剤「ピリベンザミン」の略だそうだが、「ベンザエース」なんて言われると超豪華な便座を思い浮かべてしまう。和式時代は便座とは言わなかったから仕方ないけど。

人名も例外ではない。「ヴァスコ・ダ・ガマ」はガマ(蛙)という語感にインパクトがあるせいか、インド航路発見という偉業は忘れても、名前だけは忘れられない。また、帝政ローマ時代の偉人には「○○アヌス」とつく人物が多いが、後年、それが肛門を意味すると知ってなんとも変な感じだった。初代ローマ皇帝「オクタヴィアヌス」は帝政ローマの「水戸黄門」といったところか。

語感がぬるい人物もいる。神聖ローマ帝国の「オットー1世」は「おっと!」と驚いてばかりいる剽軽者のようであり、清の初代皇帝「ヌルハチ」は「ぬるい八兵衛」を略した、落語に出てきそうな人物を思わせる。また「八重洲」の語源となったオランダ人「ヤン・ヨーステン」は「よく転ぶ人」のようでおかしい。むろん勝手な思い込みだが、連想で覚えると記憶には残りやすい。

ほか、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」(我思う、ゆえに我あり)は「住む」を想起させ、芸術作品のモチーフメメント・モリ」(死を忘れるな)は「森進一」を連想させる。また、『アンネの日記』は生理を連想させるが、これは『アンネの日記』から取った広告コピー「これからは生理の日をアンネの日と呼びます」が由来だがら、生理を連想しても満更こじつけではない。(黒)

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