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2008年12月

本年のご愛読をありがとうございました。

世界的な経済不安やさまざまな事件など、2008年は激動の一年でした。

来年は、明るい話題が増えることを願ってやみません。

当ブログ「創・咲く!」も、皆様の創作活動に少しでも役立つよう、

情報を発信していければ幸いです。

来年もご愛読をいただきますよう、よろしくお願いいたしますhappy01

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言葉処 其の70「所変われば意味も変わる」

ムーランルージュなどロートレックも描いたフランスの「キャバレー」は歌やダンスが楽しめる店であり、家族連れや女性客もいる。また、トルコ国のハマムはローマ風呂と同じく公衆浴場で、希望すれば垢擦りやマッサージをしてくれる。いずれも健全な店だが、これらを模してはいても日本における同種の店は別の業態になっている。これも一種のネーミング戦略であろう。

逆に外国語の文脈に持っていくとネガティブな意味になってしまう名称もある。カルピスはcalf piss(牛のおしっこ)に聞こえるということで、外国では「カルピコ」とした。高田馬場のテナントビル「BIG BOX」はスラングでは「尻軽」の意味もあるらしい。「ポカリスエット」のSWEATは水分やイオンの重要さを訴求したものだそうだが、外国人は「汗」が入っていると思うだろう。

スペイン語で「加賀(caga)」は「ウンチをする」、「まり子(marico)」は「オカマ」だと女優の加賀まり子が言っていた。また、イタリア語で「今野(cónno)」は「女性器」だから、今野姓の人は困るらしい。「磯野カツオ」も際どい。「イォソノ」は「I am」で、「カッツォ」は男性器を指すそうだ。ま、似た発音を探したらキリがない。九州地方での「ボボ・ブラジル」とかね。

昭和30年代、働く女性は「BG」と言われたが、東京五輪を控え、さあ国際化というときに「『ビジネスガール』とは売春婦」ということから、以後、「OL」(オフィスレディ)と言われるようになった。所変われば意味も変わる。これらはネガティブミーニングと呼ばれ、企業がネーミングする際には厳重にチェックされる。応募する側も調べておくと参考になるのではないか。(黒)

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藤咲あゆな先生の新刊が出ました!

公募ガイド社 通信教育「作品添削講座 ケータイ小説の練習」の講師

藤咲あゆな先生の新刊が出ました。

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 『黒薔薇姫と7人の従者たち』

 作/藤咲あゆな 絵/椿 しょう

 発行/ポプラ社

 定価/599円(税込)

主人公の野山杏は、空手が得意な小学4年生。

商店街の餃子屋「餃子王女」の娘でもある杏は、ある日、出前で洋館へ。

そこに現れたのは、謎のお嬢様転校生、クラスメイトの黒川緋那だった。

「あなた、私の従者になりなさい!」と、緋那は杏に告げる……。

読み出したら止まらないジェットコースター・ノベルの決定版と語る、

藤咲あゆな先生の新シリーズです。

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言葉処 其の69「ローマ字無法地帯論」

小学校では、まずは「si」「ti」「tu」「hu」「zi」と書く国内規格のローマ字を習った。ところが、一般には「shi」「chi」「tsu」「fu」「ji」というヘボン式の表記が多く、これが混乱の第一歩。そんな折、テレビで王貞治選手の背中を見たら「OH」とあって、まさに「oh!」。「OU」や「Ō」ではしまりがないからだと思うが、一方で「ookubo」や「iida」といった表記もあって混乱した。

オノ・ヨーコは「youko」ではなく「yoko」としており、これはよく見る表記だが、この方式には「小野」なのか「大野」なのか区別がつかないという欠点がある。かといって「ō」のようにマクロンを使うのも面倒ということなのか、キャンディーズの田中好子は「」ではなく「sue」と書き、矢吹丈は「Jō」だったが、オダギリ・ジョーは「Joe」だ。これは英語表記の応用。

新橋は「shinbashi」ではなく「shimbashi」と書き、「備中」は「bicchu」ではなく「bitchu。これはヘボン式だそうだが、最近は雑誌「ダンチュー」のように「Danchu」を「Dancyu」とする無手勝流も多い。そのうち「六根」を「rockon」とか「生命」を「saymay」とか、「xble(くすぶる)」「rownin(浪人)」といった表記もでてきそうだ。いや、もう既にあるかもしれない。

DATSUN(ダットサン)は海外では「ダッツァン」のように発音されるそうだが、これは誤読というよりリンクか。でもハイフンがないと「shinokubo(新大久保)」を「死の久保」と読んでしまったりする。明治時代にはローマ字を日本語としようという運動もあり、実際ローマ字で書かれた新聞も発行されたそうだが、今ローマ字を整備する気運はなく、無法地帯に近い。(黒)

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言葉処 其の68「mishearとmisread」

以前はヒアリング(hearing)と言った聞き取りのテストは、今はリスニング(listening)と言う。「hear」は単に「聞く」というより、しっかり「聴く」というニュアンスだと思うので「ヒアリング」でいいと思うのだが、「hearing test」と言うと、聞こえたかどうかを試す聴覚検査のことになってしまうようで、理解したかどうかを問う場合は「listening test」と言うそうだ。

hear」が「聞く」なら、その反対は「mishear」(聞き間違う)だが、初めてこれを見たときは「ミシェア」と読んでしまった。「mis」は「misunderstand」のように単語の前に付く接頭辞だが、「wish」「dish」など「ish」という繋がりになじみがあったので、「mish」と誤読してしまったわけだ。ちなみに「誤読」は「misread」だが、結末を効果的にするために意図的に誤読させる手法の「ミスリード」は「mislead」のほうだそうだ

ble」は「possible」などについている接尾辞で、「believable」「comfortable」など受験英語にはよく出てきた。そんなおり、教科書に「timetable」という単語が出てきて、級友に意味を聞くと「本当に読めないの?」と。「タイメッタブルかな、なんだろ」と思いつつ辞書をひくと、「時間割。タイムテーブル」とあった。なるほど、よくよく教科書を見れば「time table」だった。

ある通訳の方は米兵がしきりに「ダッグ」と言っているので、「なんか掘る(dug)のかな」とスコップを持参したところ、「通訳のくせにダッグも知らないのか」と言われ、ふと見ると基地内に野良犬が侵入していたとか。気候的に暖かい地域出身のアメリカ人は口を大きく開けて発音するので、「ドッグ」が「ダッグ」と聞こえたそうなのだが、紛らわしくて「mishear」するよね。黒)

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言葉処 其の67「訳語がない!」

外国にない物や習慣には訳語がない。たとえば「障子」は「Shoji」と書くか、説明的に「Paper sliding door」と言うしかない。同様に「侍」が「Samurai」なのは分かるが、なぜか英語には地震による大波(津波)を意味する単語はなく、1946年、アリューシャン地震でハワイに津波があった際、日系移民が使っていた「Tsunami」がそのままアメリカ本国でも一般化して現在に至っている。

英語には「自殺する」という単語もない。辞書には「Suicide」とあるが、「自殺をする」という動詞はなく、そう言いたいときは「Kill myself(自分を殺す)」と言うしかない。自殺は宗教的に禁じられており、あってはならないことだから言葉も存在してはならないということだろう。もっとも漢語の「自殺」も「自」と「殺」を組み合わせたもので、「自殺」に相当する和語はない。

意外と言えば「すする」にあたる英語もなかった。「Sip」という単語はあったが、これは「ちびちび飲む」という意味らしく、「すする」とはだいぶ違うようだ。息と同時に物を吸い込む「すする」という行為は、日本、韓国、中国、ベトナムなどアジアの一部の民族が後天的に習得した特殊技能で、だから欧米の方はマナーとしてすすらないというより、やりたくてもできないらしい。

「ただいま」は「I'm home」と言うが、「ごちそうさま」は「I'm full」「Thank you」「It was good」、「行ってきます」はI'm leaving」「See you」「Bye」などと言い、決まり言葉はない。「いただきます」も同様だが、代わりに「神に感謝して……アーメン」と長いお祈りをする。この「神は八百万の神を信じる日本人の感覚では「God」ではなく、強いて訳せば「天」となろう。(黒)

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言葉処 其の66「超ド級の接頭辞」

超ド級」は「圧倒的にすごい、抜きん出ている」という意味で使われ、特に「大きさ」について言う場合が多い。この「ド」は1906年に建造されたイギリスの戦艦「ドレッドノート」に由来し、ドレッドノートと同等のクラスを「ド級」、それ以上の戦力、能力を有する戦艦を「超ド級」と呼んだ。これはのちに一般に転用され、「超ド級の新人」のように使われるようになった。

これと似た言い方に、「ど根性」「どまんなか」「ど迫力」「どアホ」といったものがあるが、この「ど」は主に関西方面で使われていた接頭辞で、ドレッドノート建造の1906年以前から使われていたそうだから、ドレッドノートの「ド」ではない。ちなみに関東では「どまんなか」とは言わず「まんまんなか」と言っていた気がするが、これは死語、ないしは瀕死の常態だ。

強調の接頭辞は「ど」のほか、戦後は器械体操の難度を示す「ウルトC」や「ウルトラマン」どの「ウルトラ」、および「スーパーマン」の「スーパー」が主流だった。しかし、流行して何度も使われると強調の効果は薄れ、昭和の終わり頃には「めちゃんこ(めっちゃ)」や「超」が台頭、最近は「がばい」「ぼっけぇ」「なまら」といった方言が市民権を得ては次々と消えていった。

ほか、強調の接頭辞には「ぶっとばす」「おっつける」「まっ赤」「うすら寒い」「そら恐ろしい」「知らぬ」「細い」などがあるが、これらは「能力」「体操」「国家」などより元の語との結束が固い。言葉として古いせいだと思うが、それは「飯」も同様で、「御御御付(おみおつけ)」に至っては「御」が三つ分かちがたく連なっている。その丁寧さはまさに超ド級!(黒)

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