新井リュウジ先生の新刊です!
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谷崎潤一郎の『細雪』は、改行した際に行頭の一字下げをしていない。明治期に始まった規則とはいえ、なぜこの作品だけが? となんとも不思議だ。一方、カッコで始まる文章の場合、今は一字下げにしない。原稿では下がっているが、全角カッコは活字のマス目(仮想ボディと言う)の上半分が空いているため、一字下げにすると見かけは1.5字分空いてしまい、これでは下がりすぎということで編集者がいちいち一字分詰めていくのだ(最近は原稿段階で詰めて書く人が多くなり、編集側としては助かっている)。
これらは厳格な規則ではないので、出版社によってやり方が違ったりする。特に時代を遡るほどバラバラなのだが、しかし、ここ20年程の商業誌を見るとほぼ同様の表記をしている。例外は新聞社。新聞は日刊という都合上、能率最優先で、カッコで始まるときだけ一字下げをしないという面倒なことはしない。ナカグロ(「・」という記号)が行頭にあっておかまいなし。
一般の印刷物では、カッコ内の最後の句点(マル)を省略するという規則もある。これも厳格な規則ではなく、教科書や児童文学、あるいは明治、大正の小説などでは省略していないものもある。村上春樹もデビュー作の『風の歌を聴け』では「俺は御免だね、そんな小説は。反吐が出る。」とカッコ内であっても最後にマルを付けている。しかし、これはデビュー作だから、つまりはアマチュア時代に書いたものだから、学生時代の表記のまま書いてしまったのだろう。実際、二作目の『1973年のピンボール』では担当編集者に指摘されたのか、この句点は省略されている。
この不文律の規則を定着させたのが誰かは分からないが、おそらくは志賀直哉だろう。こんなとき、どう表記する? と思ったとき、人はだいたい先人の例に準じる。ならば「小説の神様」の真似をしようということになったのではなかろうかと。(黒)
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「長嶋は燃えた」はいいが、「長嶋は燃やした」となると「何を」という疑問が残る。文法的には「燃やす」は他動詞で目的語を伴うからだが、しかし、文法など知らなくても私たちは「長嶋は燃やした」だけでは舌足らずだと感覚的に分かる。一方、日本語を学びたての外国人などにはこれが分かりにくく、だけでなく、日本人も大人になってから語学学習をするようなときはこれと同じ状態になる。その際は勘ではなく文法という理屈でこれを補う。
25年も前のことになるが、ある日、友人が興奮して「この小説はいい」と言ってきた。それは当時の学生なら論文を書くときなどに誰もが「○○をめぐる○○」というタイトルを付けたぐらい有名な作品だった。読んでみると確かにおもしろかった。影響されて、読むたびにビールが飲みたくなったり、オムレツが食べたくなったりして、ちょっと太ってしまったくらいだった。言うまでもなくそれは『羊をめぐる冒険』だ。
ただ、終盤は物語の出口を探しあぐねているようでキレが悪いような気もした。初めて読んだときはそれも魅力ぐらいに思っていたが、このすぐあとに氏の短編集を読んではっきり分かった。短編はあれほど切れ味鋭いのに、長いものになると今ひとつ、ということは、この人は志賀直哉と同じタイプなんじゃなかろうかと。
後年、村上氏がプロットを作らないで書くと聞き、なるほどそのせいかと思った。この件に関しては、「プロットを作らないから戸惑う」と言う人と「プロットを作らないからあれだけの作品が書けた」と言う人があったが、おそらく両方正解だろう。即興で曲を作っていくようなことをすれば展開に迷うこともあるが、譜面どおりに弾くような書き方ではおもしろくなりにくいということだ。プロットを作る頭は左脳だからだ。
村上氏は物語を構成するのが得意ではなかったのかもしれない。このことは実は『ノルウェイの森』を読んだときにも若干感じたが、その後、氏は語学学習をするように理論的に物語の文法を学んだらしく、今の作品に初期の作品のような逡巡はない。(黒)
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《彼女とデートした。》/《パフェを食べた。》/《うまかった。》という三つの文章を重ねて段落を作ろうとしたとき、その並び順は3の順列(3×2×1)で6通りある。
しかし、《パフェを食べた。うまかった。彼女とデートした。》では「彼女とデートした」という大状況が後回しになるので話の前提が分かりにくく、《彼女とデートした。うまかった。パフェを食べた。》では一瞬何がうまかったのか分からない。さらに、《パフェを食べた。彼女とデートした。うまかった。》などと書いてしまうと、何やら彼女がうまかったかのようでもあるから、自ずとこの順番は選ばれない(選ばないよね?)。
ただ、だとしても、《パフェを食べた。》という文章が《食べた、パフェを。》と倒置法にすることはできても《パフェ食べたを。》や《をパフェ食べた。》とすることは許されないように、複数の文章の並び順の場合も、あれはいいが、これはだめという厳格にして絶対的な法則があれば楽なのにと思う。
実は大昔、この文と文の並び順の規則(文間文法)を明らかにしようとした学者がいたそうだ。彼らは《パフェを食べた。うまかった。》はいいが、《パフェを食べた。》のあとに、この文章とはまるで関係ない《国道は大渋滞だ。》や《明日は給料日だ。》といった文章はもってこられないと考えた。確かにこれでは脈絡がない。
しかし、《パフェを食べた。国道は大渋滞だ。ここはドライブスルーの有名パフェ専門店だ。》とか、《パフェを食べた。明日は給料日だ。今度はさらに豪華なやつを注文しよう。》と言えば文脈ができてしまう。要するに、あまりにも例外が多すぎて体系化できなかったのだ。
ちなみに、ここには12のセンテンスがあり、その順列は4億7900万通りを超える。その中の唯一とも言える並び順を簡単に見出すわけだから、人間の脳ってすごいよね。(黒)
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公募ガイド社では、12月12日に「第4回歌づくりセミナー」を開催します![]()
講師は、作詞家の紺野あずさ先生と 作編曲家の野口義修先生です。
1997年『時雨の宿』 で、第30回日本作詩大賞最優秀新人賞を受賞。
主な作品は、『雪待鳥 -絹の章-』(島津亜矢)、『相愛太鼓』(前田有紀)、
『あなたの古里』(森若里子)など。日本作詩家協会、日本童謡協会会員。
作編曲家として、NHK「みんなの歌」「おかあさんといっしょ」に作品提供。
ディレクターとして、『待つわ』(あみん)、『愛はかげろう』(雅夢)、『完全無欠
のロックンローラー』(アラジン)などヒット曲を手掛ける。公募ガイド社作品
添削「作詞・作曲」講座講師。昭和音楽大学講師。
セミナーは2部構成のプログラム。第1部は「作詞・作曲講座&作品講評」で
「作詞」「作曲」のコツやノウハウを、両先生にお話しいただきます。
また事前に募集した作品の中から、事例として講評解説を行います。
第2部は、「ワークショップ メロ先作詞にトライ」。参加者の皆さまに、メロディーを
聴きながらメロ先作詞を行っていただきます。
セミナーは、現在参加者募集中です。
お申し込み等詳細は、こちらをご覧ください。
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論理学に帰納法と演繹法があるが、何かへの興味も下っていくタイプと遡るタイプがある。前者は古いものから手をつけ、後者は新しいものから始めてそれに影響を与えたものへと遡行していく。私はというとごく普通に一から始めたいタイプなので、小説に興味を持ったとき、当然、関心は近代文学に向いた。
しかし、明治の文学は漢字が多くてとっつきにくく、気持ちだけが空まわり。小6のときに読んだ『吾輩は猫である』は読了するのに1年もかかったけど、またあんなことになるのかとなかなか気分が乗らない。それでも、こういうものは若いときでないと読めない、今読んでおくべきだと気持ちを奮い立たせ、とにかく買うだけ買おうと受験勉強の合間に書店に向かった。
坪内逍遥、幸田露伴……めまいがする。二葉亭四迷、国木田独歩……溜め息しか出ない。島崎藤村『夜明け前』……な、長い。明治はだめだ、大正で許してもらおうと誰に言い訳しているのか分からない言葉を吐きつつ志賀直哉に手をかけた。『暗夜航路』……こんなに厚くて上下巻なんて勘弁してくれ、数Ⅲの総復習もしなきゃならんのだと思ったとき、『和解』が目に入った。薄い。これならすぐに読み終わりそう。しかも有名らしい。
確かに読了するのに三日とかからなかった。しかし、読後の感想は、「お偉い方々が絶賛しているんだから名作なんだろうなあ、たぶん」といったものでしかなかった。そのことを悪友に言うと、理解力不足とばっさり。苦行のように苦労して読んで劣等感しか覚えないとは。まったくトホホだと思った。
それから十年以上が過ぎ、長男が生まれ、あまりのか弱さに風が吹いても心配になり、あれこれと余計な心配ばかりしていたとき、ふと親の存在を煩わしいと思っていた昔を思い出し、親はこんなふうにオレを見ていたのかと初めて気づくと同時に、はて? この心境、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、それは『和解』そのものだった。あのとき、悪友は理解力不足と言ったが、あれは絶対に嘘だ。本にはそれを読むにふさわしい年代がきっとあるのだ。(黒)
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公募ガイド社の通信教育、作品添削「童話上級講座」「童話・児童文学講評」の
講師 牧野節子先生の新刊が出ました。
『夢みるアイドル②』
作/牧野節子 絵/亜沙美
発行/角川学芸出版(角川つばさ文庫)
定価/672円(税込)
歌が大好きでアイドルを夢見る、小学4年生の青山ルリは、
クラスメイトの赤井サンゴと転校生の大滝白英とアカペラグループ
「三色アイス」を結成。そんな中、白英はプロにスカウトされる。
2学期、プロデビューを控えた白英は態度が大きくなり、ルリとサンゴ
にも冷たくなる。怒ったルリは、外国人の男の子ジョージを新メンバーに
引き入れ、新生「三色アイス」は活動を始めるが……。
音楽が大好きな、元気いっぱいの少年少女たちのストーリー第2弾です。
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新しい潮流と出会って影響されると、それまでの自分が陳腐であるような気がして嫌になったりする。いくら他人があなたの業績は偉大だと言おうとも、それは過去の話。これからもこれでいいのかとぼんやりと思ってしまい、同時に誰かの中に過去の自分を見てしまうと、その誰かまで空疎なような気がしてしまったりする。
果たして芥川がそう思ったかは分からないが、昭和2年1月、芥川は『新潮』の座談会で谷崎の『日本に於けるクリップン事件』ほかを批評し、「筋のおもしろさが作品そのものの芸術的価値を高めるということはない」と発言した。構成や展開に絶妙な冴えを見せた芥川がこんなことを言い出すのは不可解だが、この背景には、芥川が自らの技巧的で作為的な「話」本位の小説に疑問を感じ、当時のトレンドでもある心象風景を描いた小説、つまり、私小説を極めた心境小説的な「『話』らしい話のない作品」を好むようになっていたということがある。
これに対し、物語性溢れる作品を次々と発表していた谷崎は『改造』の「饒舌録」の中で、「うそのことでないと面白くない」、そして「筋の面白さは、言い換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。これに芸術的価値がないとは言えない」と反論した。
すると芥川は『文芸的な、余りに文芸的な』の中で、「小説は『話』の上に立つものである」としたうえで、問題は「その材料を生かす為の詩的精神の如何である。或は又詩的精神の深浅である」と再反論。その後、谷崎の再々反論、芥川の再々々反論と論争は続く。
この論争は論争というより互いに文学論を主張しあっただけという面もあり、親友でもある二人は論争中に人形芝居を観劇したりしているが、わだかまりがなかったわけでもないようで、論争中に「仏像集」を贈った芥川に対し、谷崎は依怙地になって「送り返せ」と言っている。しかし、送り返すまもなく、作家として乗りに乗っていた谷崎優勢のまま、同年7月、芥川の睡眠薬自殺をもって論争は終わる。遺書には「ぼんやりとした不安」という言葉が残されていた。(黒)
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健康サポーター「えむぞぅくん」のテーマソングが完成しました![]()
同曲は、日本医学交流協会医療団様、ドクターズプラザ様のイメージキャラ
クター「えむぞぅくん」をモチーフに、病気で落ち込んでいる方々へ「元気」と
「希望」を与える応援歌として作られたものです。
公募ガイド社音楽制作室では、楽曲制作を担当させていただきました。
歌詞は公募で、248点の中から保岡直樹さんの作品『元気わくわく』が
最優秀賞として採用。それに作詞家のさいとう大三先生が補作されました。
作曲と歌はシンガーソングライターの中村友美さん、
出来上がった楽曲の初披露となるイベントが開催されます。
11月26日(木)、東京・四谷で開催されるイベント「公開講座・市民健康の
集い」のプログラムの一つとして、「えむぞぅくんテーマソング発表&
ミニライブ」が行われます。当日は、「自分にあった医師・病院選びのコツ」
をテーマにした2つの講演や、「えむぞぅくん川柳、マンガ原作大賞」の
発表なども行われ盛りだくさんのイベントです。主催者は、現在、参加者を
募集中ですので(入場無料)、お時間のある方はぜひご覧ください。
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「公開講座 市民健康の集い」 主催 日本医学交流協会医療団
日時/平成21年11月26日(木) 17時開演(16時開場)~21時終演
場所/四谷区民ホール 東京都新宿区内藤町87番地
(東京メトロ丸の内線「新宿御苑前駅」徒歩5分)
主な内容/自分にあった医師・病院選びのコツ
・講演①「ひとりに2ヶ所のかかりつけ医」 谷田貝茂雄氏(医師)
・講演②「先生、別の医者を紹介してください。」嵯峨崎泰子氏(看護師)
コンテストの結果発表&表彰式
・「第3回えむぞぅ健康川柳大賞」 ・「第2回えむぞぅくん漫画原作大賞」
・「えむぞぅくんテーマソング発表&ミニライブ」 ミニライブ 中村友美さん
参加費/入場無料
申込み方法/日本医学交流協会にメール(tudoi2009@drp.ne.jp)か
FAX(03-3358-1784)でお申込みください。
詳細は、主催者ホームページをご覧ください。
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純文学は自分のために書いた芸術性の高いもの、大衆文学(エンターテインメント)は読者のために書いた娯楽性の高いものという分け方があるが、今はそれらが融合した中間小説が多く、その境目はボーダレスと言われている。しかし、それならば昔ははっきりとした境界があったのかというと、それがよく分からない。
1961年に伊藤整は「『純』文学は存在し得るか」という評論を書いているので、戦後は「純文学/大衆文学」という二大政党制みたいな構図があったのだと思うが、大正時代あたりまではどうだったのだろうか。
そもそも、純文学/大衆文学という構図ができたのは、高度のエンターテインメントが出現した戦後であって、どちらかというと大衆文学が知的レベルの低い人が読む探偵小説、チャンバラ小説、今で言う娯楽漫画程度の地位しかなかった大正時代あたりでは、純文学/通俗的な大衆文学という区別はあっても、純文学/高度のエンターテインメントという棲み分けはなく、文豪たちにも「私は『純』文学を書いている」という意識は薄かったのではないかと思う。結果、小説と言えば純文学であり、この純文学にはエンターテインメント的な作品も多く含まれていたのではないか。
うーん、なんか堅苦しいことを書いているなあ。要するに、芥川の『魔術』を読んで、これは純文学なの?と思ったというだけだったりする。それほど伏線の張り方やミスリードのさせ方、話の運びが絶妙で、のちの世のミステリーやショート・ショートの教科書と言っても過言ではないと思ったのだ。もっとも、どんでん返しのような大仕掛けがあるからと言って、それだけで純文学ではないということにはならないけれど。(黒)
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